そして昨日の朝。

久々に友人と話をした。友人がいると、僕はそんな僕ではなく、ただ毎日を毎日として過ごす僕でいられる。
それをとても感謝する。
僕は僕を取り戻せただろうか、と想う。
そして、どちらの僕に対しても、不信感を抱く。
この憂うつの中に飲まれているらしき僕は存在しうるのか。この毎日を過ごすだけに、少なくとも笑っている僕は恒久的に崩れずにいてくれるだろうか。
全てトリックではなかろうか。本当はただ、一切の都合の悪い事を省いただけの、苦し紛れで自傷に励む健常でずるく不誠実な僕、そんな僕が作り出した幻想に近い悪夢に近い幸せに近い限りなく悪である僕、それを演じるほかなかったのではなかろうか。
多面性などではなく、何処までも向こう見ずなくせに中身はただ単純に、だからこそ醜い取り繕い、それによって使い分けられただけの、生命を浪費したピエロ(おまけに笑うのはただ僕だけ)なのではないか。
この考えはしようもない。本当にしようもない。
停止し、今度こそは僕がまた挫けぬ前に全てを注意深く可にしなければ。希望を持ってそう想う。
学校へ行こう学校へ行こう学校へ行こう
何一つ何でもないのだから。きっと何もかもたいしたことではないのだから。


暗い言葉になりました。だけど、僕はきっと大丈夫です。
最後に。
連絡や心配をしてくれた人ありがとうございます。