面白いことなのかもしれない。

きっと今までの経験の中で自分の想う度折に現実は起こりえないことを立証してしまった人間たちは、偶然か必然か、もしくは自らの力によるものだとしても、完全に自分の望んだ形になってしまうと、それに対して不信感を感じ、不安を想い、想像をめぐらせてしまうのだろう。
そういう人間が二人集まりお互いを向き合ってしまったら。若しくはお互いが其々のことを見つめていたとしたら。
なんとも劇的、ナンセンス、喜劇。
お互いがお互いに対して望むべき形であるにもかかわらず、其れをお互いの経験によって打ち消そうと考えてしまうのだ。
だからこそ精神がインタンジブルなことは厄介だ。
しかし其れもどちらかが気付いてしまえばもうおしまい。すぐにその連鎖など意味の無いものとなり崩れ去ってしまう。それだけ弱い連鎖。
そして今、僕は其れに気付いている。
どうだろう、久々に成功を確信できる行動と言うのは。