考えうる状況においての僕は。

親にもらった体です。
だから大事にしないといけないのです。
親に、もらった、体。
もらったならば僕の体。
もらったものを僕の意思によって自由自在に使うことをとがめられることは矛盾している気もする。
本当は完全にもらったものではなく、与えられたものに過ぎないだけで、この体が親の手の中にあるものならば。
この体は僕の体では、ない。
僕の体は僕の体ではない。
ならば僕の精神は僕のものなのか?
僕なんて必要ないのか。