本で思い出したので。

ついでのついでに、例の元気だった頃に行った課外授業のことを少しだけ。
僕が選択でとっていた「メディアとしての書物」というとても面白い授業(色々あって不可だったけど)の課外授業に9日に実家から帰って直ぐ行ってきていました。
吉祥寺の「百年」という古書屋にて。現地集合。
地図確認のうえ行ってみたものの、案の定迷い、駅の方に戻っていると見つけるという事態ながら、なんとか到着。
上の授業の講師仲俣暁生さん(id:solar 編集仕事をやっている方と聞いた、恐らく編集長をしていたはず、そして本も出しているらしい)と「百年」店長との対話がメインでした。
編集業に携わっている人間が寄りによって古書を扱う店の店長とという、矛盾を感じながらも受けていました。
その講師曰く(といっても細部は違う、僕の補完)「今の所謂本屋と言われるものではなく、古書屋こそ、本当の本屋だと思う。」
恐ろしい発言だなと思いつつ聞いてみる。
そして聞いた結果、どうやら今の本屋のシステム自体、毎日新作を仕入れてきては其れを常に売れないと判断したものと交換していくという、まぁ使い捨て状態。
特に今は昔と比べ、かなり新作の出版数が増えており、一日に三百冊ちかくのペースで作られ続けている。
恐らく出版社自体も例年の「活字を読まない」傾向に陥っている社会への対策として「使い捨て本」を少量多種類出版し続けて、経営を成り立たせているんじゃないかとも思った。
新作といえど、二週間ほどで判断しだいでは直ぐに店頭へ二度と並ばないことも多々あるとか。
また曰く(といっても 略)「今の所謂本屋には昔の名作と最新の普通に売れている本しかない。昔の普通に売れていた本などは欠如している」らしい。
そう言われると納得してしまう。
あとは、「古書が最も嬉しい客は、店主と趣味が合う客」らしく、まぁ勿論のこと本を買ってくれるし、売る時も自分の欲しいと思った本を売ってくれるから。
そうそう、なんで編集者である講師がまさに商売上の敵である古書屋が好きかというと、「自分たちが作った本が一度は買われ、其れを繰り返し沢山の人に呼んでもらえるから」みたいな事を言っていたと記憶。まぁ現状で「所謂本屋では一度売れないと思われると二度と店頭に並ばず、倉庫行きになったり、返品されたりして悲しくなる」と言っていた気もするし、少しだけ納得。そういう考えもあるかなと。
そうやって本屋のシステムや古書屋のシステムをいろいろと両者に語ってもらいつつこの授業は終了した。
なかなか興味深い話ばかりで楽しんで聞けたと思う。
僕はとりあえず「使い捨ての本」でも好いから何かしらできないとと思いつつ、難しいのも現実で。
ちなみに授業が終わった後、「百年」の品揃えを見ていたところ、感動するほど僕の欲しい本があったので嬉々とし五冊ほど購入。お金が無かったので又お金を蓄えていきたいとも思った。
最後に「百年」のウェブページアドレスと店長ブログ。
http://100hyakunen.com/
http://hyaku102.exblog.jp/


余談だけど、この選択授業のレポート内容が「本屋の新しい形式」を自分なりに考えて発表するもので、好い案だったら編集者である講師が掛け合ってみるらしい。
レポートを書く資格を有していない僕だけど、一つだけ其れについて思いついたことがあったので自己満足として記述。
今までジャンル別、あいうえお順が基本形式として本を置いている本屋だが、それではその作者を知らないとどういう「もの」なのかわからない事が多い(というか現に自分が多い)ので、ジャンルの細分化と、年代別、もしくは小説家の流れに沿った棚作りがされたらなと思っていたり。
なんだろう、ツリー形式な棚作りはできないものかなぁと。
つまり、一つの分野においても、その出発点に立つ人達やその中でも色々と分類わけされているのが現実で(ミステリの新本格とかライトノベルにいたるまで)そういうのをどうにかしてツリー形式の要領で方向性を持たせたり並列化できないかなと。
そんな戯言。されているところがもしかしてあったら、是非に教えて欲しい。行くから。
くさすけさんどうですか。課外授業。