見たくないものを見なければいけない。
見る必要なんてなかったはずなのに、記憶されるほど焼きつくほど分からなくなるほど嫌になるほど泣きたくなるほど見せ付けられてしまう。
僕の性質の性格の人格の因実は僕の病気ではないと信じていました。ここまで成り下がっても、まだ、僕は僕によってのみ知り気付き考え従った自分であって、脳組織脳細胞脳髄の欠落によって、考えが変わらないと、病気であっても其れは僕の内なるものではないと、信じて疑わなかったです。
其れは今でも変わりません。しかし他人にとって其れは其れではなかったようなのです。
贖罪は果たされなくても、生きていかねばならぬというのに。
僕に何を期待しているのですか? それは本当に僕に必要な事なのですか? 僕は改善されていくのですか? 僕が泣く事もなくなりますか? その見返りは? その理由は? その意味は?
神様、僕は出来うる限り優しくあろうと誓いました。神様、僕は大切な家族のために生き抜こうと強く思っています。神様、僕は他人を傷つける事が大嫌いです。神様、僕は独りぼっちが嫌いなのに、独りぼっちです。神様、僕はそんなに強い人間では在りませんでした。神様、崩れてしまったものを元に戻す事は僕には容易な事ではないです。神様、僕は不幸を背負わずにいるくせにうまくできないでいるのです。神様、僕はどうして惨めなのですか。
神様などという概念を少しだけ考えてからというもの、都合よく神様を想像するのはやめていたのけれど。
僕の病気は順調に治っていくのでしょう。しかし、僕の思考の悪循環は治りません。僕の病気はすぐに治ってしまうでしょう。しかし、僕が本当に人間になることなど訪れないのでしょう。僕の病気など本当はもう治っているのかもしれません。しかし、僕はずっと間違ったままなのでしょう。
決め付けられて、勘違いを受け容れるのは、疲れる事だったんですね。其れでも僕は良かれと思っていたのです。いくら足りないと思っていても、早計な判断に惑わされている人を見ても、自己矛盾に気づきもしない姿を目のあたりにしても、僕のこのネジの外れた愚かな思想に逆上されたとしても、たとえそれが僕を不幸にするとしても、僕はそれでも優しく在りたくて許していたくて。
これはきっと優しさではなかったのかもしれない。ただ臆病だっただけ。ただ誤魔化していただけ。ただ逃げていただけ。ただ、わからなかっただけ。
だったら、優しさとはなんですか。
僕は自分が我慢しているかどうかでさえ、もう分からないのです。何をすれば好いかなど検討もつきません。何かを壊さなければいけないのですか。何故そんな事を僕に強いるのですか。何故意識的に壊してしまわなければ気がすまない人がいるのだろう。
無意識の内に壊してしまうのならば、反省すればいい。悔やめばいい。気をつければいい。
他人に少しでも意識を向け、相手が苦しまないように配慮を持ち、友好的に接することを楽しみ、様々なものを共有したいと願い、何処まででも他人を尊敬し大切にし其れを幸福だと思い、自分の思考や思想に頼って頑なに否定する事を恥ずべき事だと考え、本当の自分、こうあるべきである世界、自分を傷つけない人々などというそんな下らない幻想など捨て、できうる事ならば誰彼でも理解しようと努力する。
それは駄目なのでしょうか。僕はいつでもそう在りたいと考えているのに。偽善と呼ばれるでしょうか。僕は其れでも信じているのに。反吐が出ますか。僕は間違っていますか。
本当は、ただただ、ひたすら、どこまでも、他人全てが、怖いだけ、なのかもしれない。
否定するのも仕方ない。嫌悪感も頷ける。軽蔑するのだって分かっている。其れでも僕はそれが好きだ。
陶酔と独白の境目は曖昧。
僕はもう破綻している。
笑っていたい。
こんなにも素晴らしいのに。
他意なんてない。ただ今日はちょっと疲れただけ。
僕は大人にならないといけない。
軽口が悲しい。
馬鹿にされても仕方なかった。
優しくなろう。ちゃんと優しくなろう。
もう誰も傷つけないとは言えない。だけど、心だけは、そう在り続けようと、願おう。
前のような冷めた目や距離を置き去りにした態度や諦観で狂った思考など、繰り返さないように。
慈しみを忘れないように。
だから、嫌われても構わない。
今日は、本当に、疲れた。