最近は眠くなる時間が早くなっている。
その分早く起きれるけれど、それでもたかが知れている。
僕の出来ること。
言葉、表現。何処にあるのだろう。
独りきりが疼く。
醜い死体が見える事はない。
誰かが僕に、迷惑だろうと考えて、様々に気を使って、分からない言葉を喋って、結局は遠くなる。
其れを僕は、無関心だと咎めて、僕の資格を問い、諦観に諦観を重ね、僕はどんどん小さくなっていく。
様々な否定や嫌悪による自己解決は容易い。自己嫌悪に対する理論武装も、其れに伴う自己廃棄も、ただ涙の流れるような自罰でさえも、容易い。
容易い。容易すぎる。其れには苦痛は伴うが、其れには深く深く意識が伴うが、それでも、いつでも、どこでも、誰でも、一人きりで其れは成長する。
容易い。そして、限りなく、其れを行う事は、自分への終わりに近い。
それでも、僕を含め、一部の人間は、其れを止める事が出来ない。
僕はそういった人間に、なんと言う言葉をかければいいかが分からない。正しく導けるものなどついには知らない。
否定など出来ない。肯定など出来ない。指針を示す事自体が、間違っている気さえしている。
例えば、気持ちを掻き出すことが出来るなら、貴方には必要ないと嘯いて、全て僕が掻き出してしまいたい。
例えば、肉体的な接触によって気がまぎらうような類ならば、僕は抱きしめさえするだろう。
例えば、もしも正義の味方のように、物語の中の解答者のように、彼らの心の奥の奥まで見透かしたような、全てをなぎ払う事が出来るような、そんな言葉が見つかるのならば、僕はすべてに於いて其れを是するだろう。
僕はifの世界を夢見る。
僕は全体の世界において、何かの役割を担った言論者になりたかった。それが間違っていようと、何かのきっかけになる、何かの一つの視点として明示される、そんな、一つになりたかった。
なりたかった、けれど、僕はあまりに臆病すぎた。
だから、思考を他人に突きつける事の弊害を、其れによって解決される理解される何かを変えることが出来るという力を知っていながら、恐れてしまった。出来なくなってしまった。逃げてしまった。
確かに其れによって、誰かを傷つける事は少なくなったのかもしれない。大きな問題も起こらないかもしれない。もしかしたら嫌われる事だって、今は少ないほうなのかもしれない。
だけど、この性質は、確実に、他人との距離をつくり、苦しんでいる人を通り過ぎ、自分の自意識さえも蝕み、自ら人々の無関心を作り上げ、愛情なんて呼ばれる高尚なものも握りつぶし、自らを自らによって孤独にさせる。
世界で生きていくには。
殺されてしまわないためには。
僕が自分の今までの人生を費やして育んだ「優しさ」を殺さなければならない。
だけど、そこまで分かっていながら、僕は、持ち前の臆病さと「優しさ」への憧れと、中途半端な理論武装と、そして何より僕の病のような愚かさが、其れを殺す事をこの長年、今でさえも、拒み続けている。
そして今僕は、少しずつ、崩れていく。確実に崩れていく。
「誰か、全てを変える、何もかもを超える、誰か、僕を、変えて欲しい」
「地獄でも、世界でも、最後まで突き落として欲しい」
「助けて欲しい」
僕には後がないのだろうか。
ただ、酷く、今は、悲しい気持ちだった。
ずっとずっと、悲しい気持ちだ。