妄信

読書はほぼエンターテイメントである。
しかしそれを知能の向上に繋がるものとして妄信する人も少なからずいる。
学ぶことは体を鍛えることと同じく苦痛が発生して初めて効果を得るものなはずではないのかしら。
読書によって、それも娯楽が生じるもので、もしも知能や知恵を高められるならば、それはとても都合のよいインテリによる知識最上論だ。
書物に知識を織り混ぜるのは表現上の演出だ。知識は演出につかうものだ。
そう考えると感性も演出にちかい。というよりそれをうけることにより二次的に演出しうるといえる。
ならば僕はなにをもってして他人の変貌を目的としたものを発信できるだろう。
そんなことを考えてまた僕の表現方法は不確かになり曖昧になり、不安になる。