病むという言葉が嫌い。
その状態が病んでいるという証明が出来ないから。
自らの何かしらの規格にそれを当てはめて、一人で使っているのならば、そういった誰にでも通じる当たり前のように溢れかえっている言葉ではなく、モット自らにそった言葉の組み合わせを使うべきだ。
其れを使わないという逃避が僕は嫌い。其れを他人の理解に支障をきたすように使える便利さが僕は嫌い。
認識できているのだから、もう言葉で逃げることなど叶わない。
取り繕う必要があったのですか。
僕はもう無くなった。
酷く心が張り裂けそうなことばかり僕は叫ぶのだから、貴方たちはいつものように、そこそこの好奇心をもって僕を置いてきぼりにすれば好い。
僕という人間を果たして正常に自覚できているのかが不安です。
僕の思考は最早単純明快に欲望を効率的かつ世間体を諦めない程度の按配に叶えていく機械になる。
誰かが泣いているのかもしれません。誰かが泣いていたのかもしれません。僕はもう目が見えないから、確かなものなんてないのでしょう。